英語で独り言。

よく、海外に住み始めて、英語に慣れてくると英語の夢を見るというような話をききます。が、そこまで英語ができないからなのか。。。英語で夢を見たことがありません。
その代わり、はっと気づくと英語で頭の中で(声には出さないですよ!!もちろん)独り言を言っていることがよくあります。

頭のなかでぐるぐる考えるのはうつ病の元なのでできるだけやめるようにしているのですが、そうするとなんか英語で一生懸命頭の中で話しているんです。多分、実際の会話では自分が言いたいことを言えないことが多いので、その分、その悔しさを会話シュミュレーションではらしているというか。でも、これ、会話の上達にはすごくいいのではないかと思います。結局、英語はどれだけ上手に発音するかではなく、どれだけ自分が思っていることを自分の英語力の範囲で話せるか、それにつきるので。

昨日、エリックにbirthdayが通じなかった発音力なので。。。発音は諦めて表現力を独り言(笑)で磨こうと思います。最近、Thursdayがやっと通じるようになったから、アーの発音はばっちりって思ってたんですが、どうやら周りが慣れただけなのかも。

どこまでなりふりかまわずやっていけるか。

女性で本当に独立した研究者になるために必要な物は、結局どこまでなりふりかまわずやっていけるか。どれだけ、すべてのものを犠牲にできるか。この点に限られていると思います。

ポスドク生活は金銭的にかなり貧乏です。
娘を近くに置いておきたい大半の親達には、単身世界を渡り歩く娘は親不孝を通り越して、奇異な存在です。
大半の男のポスドクが奥さんの仕事をやめさせて奥さんを連れてくるのに対して,女の場合、彼が仕事をやめてついてきてくれることはかなり稀です(実は、このパターン、一例だけ知っていますが。)。
偶然、どちらもポスドクだったとしても、数年ごとに移動する日雇い生活。移動する時になって、やはり自分のキャリアか相手について行くかの選択をいつもせまられます。

その度に、全精力を使って、自分は研究者になるんだ!!と非情な選択をし続けても、本当に研究者になれるかどうか、確率は10%もないのではないかといつも不安な気持ちを抱え続けたままなのです。だって、周りの女の先輩で助教授になった人なんて見たことがないから。身近な人でロールモデルにするべき人がだあれもいないのです。

さて、最愛の相手、家族、子供を産んだかもしれない可能性、そういう可能性のすべてを捨て去ってまで、研究者になるということは尊いことでしょうか。。。
リスク管理ということを考えるのであれば、女が研究者を目指すということは到底割の合わないことだと思います。
実際、海外でラボを開いたり、日本で助教授になれた女性を見ると、すごくたくさんの幸運に恵まれています。たまたまラボの10歳位下の学生とできちゃった結婚して、相手が半専業主夫状態という人や、うちのボスの様にダンナさんがフリーのライターで彼女が移動するところすべてにダンナさんがついていけるというような場合です。

幸運は望んでくるものではないので、結局なりふりかまわず邁進するしかないのですが、時々どこまで自分を犠牲にすれば気が済むのか(研究者を目指すことを諦められるのか)とくとくと考え込んでしまいます。

難攻不落のアメリカ人の舌を落とせたもの、それは。

ヨーロッパにいた時、大体どんな日本食を作って持って行っても、みんなおいしいおいしいと食べていました。みりんぼしだけは、甘い魚だよーと持って行くと、もうそれだけで気持ちが悪いのか、
みりんぼし、disgusting!!
と叫んだ人がいましたが(笑)
おにぎりなんかでも、どうやってこんなにおいしくお米が炊けるのか教えてほしいとよく言われました。

ところが、アメリカ人。。。
例えば、学生のエリック。彼は野菜、果物が一切食べられず、ビタミンは全部錠剤で摂取。お医者さんにカリウムが足りてないからバナナぐらい食べられないのかと言われて、トライしたものの、バナナもダメだそう。で、カリウムも錠剤で飲んでいるとか。こういう人が全然珍しくないんですよ。ここでは。

だから、何を持って行っても彼らはおいしいとは言わないし、なんかゲテモのに挑戦!みたいな感じでしか食べないんです。お寿司にもすごい量の醤油を塗りたくるしね。

ところが、ところがですよ。
母が送ってくれた、虎屋の羊羹。このおいしさはアメリカ人に無理だろう、っていうかもったいないとか思いながらおそるおそる出してみると、
みんな、
I like it. だって。
豆とか絶対嫌いなはずなのに、おいしいみたいです。
NYで売ってる鎌倉吉兆庵の和菓子はウケなかったので(っていうか、私にもあまりおいしくなかったりする)、アメリカ人にもおいしいものはおいしいってわかるんですね。
ちょっと発見でした。でも、やっぱり、彼らに食べさせるのは、もったいない気がするけど。

男と女とゴースト

http://biology.plosjournals.org/perlserv/?request=get-document&doi=10.1371/journal.pbio.0040019#BOX1というエッセイが目についたので、読みました。
内容は、科学的に男と女の脳の違いがかなりわかってきていて、それぞれに得意なこと不得意なことが違うことがわかってきているのだから、違うという前提でものを見てみませんか?という主張です。

具体的には、大学の教員(PI)を採用する際に、セミナーを候補者にさせて、どれだけその候補者が自信満々か、どれだけアグレッシブに仕事を進めているかなどの基準で採用を決めているけど、それはすごく男に有利で女に不利な方法ではないか、自信がなさそうだったり、シャイだったり、自分はこんなに偉いんだ(って男の人がよくやるやつですね。)ってアピールしない人でも優秀な人なら雇うべきではないかというようなことが書かれていました。

これを読んで思い出したのが、昔読んだブルーバックス「男は女より頭がいいか」と加藤諦三先生の何かの本の中に書いてあった文章。ブルーバックスの方は、世の中のテストの大半、知能テストから(アメリカの)大学入試テスト(SAT)に至るまで、脳科学的に見ると、80%ぐらいが男の脳に得意な問題で埋め尽くされているそうです。うろ覚えですが、たしか著者(脳科学者、男)が男の脳に得意な問題と女の脳に得意な問題を半々にした知能テストを作ったところ、女の平均偏差値が男の平均を50とすると53になったとかそんなことが書いてあったと思います。加藤先生の方は、小中学生の頃、どうやっても自分はクラスで一番の女の子に勉強で勝てなくて、悔しい想いをしたが、高校に行ったら楽に追い抜かせてしまった、なんだ、単に初等教育が女の子向けなだけだったのだみたいな文章です。

今は男でも女でも男脳を持っている人がいい大学に行け、いいポジションを得られるというような状況なのでしょう。エッセイにも書いてありましたが、特に生物学のような様々なアプローチができる学問なら、もっと多様な人が参加できる方が学問が発展すると思います。また、コミュニケーション能力が高い(女の脳の方が得意とされている)人の比率が増えた方が、もっと仕事場が仕事し易くなるというのも本当だと思います。大学の教員の男女比率がその教員達の受け持つ部門の学生の比と同じぐらいになるのが理想でしょうか。アメリカでは生物系では学生は半々、女性教員は10%だからまだまだみたいなことが書かれてましたが、日本は。。。数字もだせないですよね。少なすぎて。四捨五入して1%に乗るんでしょーか?

北風と太陽ー日本人が自分のことを戦略的にナイーブ(バカ)だと思うのは間違っているかも。

あいかわらず、同僚のポスドク(男)と揉めています。私の論文に名前を入れろという彼の主張は常識的に見てかなり法外な主張です。100%通らない主張です。

でも、でも、ですよ。もし、彼が本当に私の論文に名前を入れたいと思っていたなら、もっと論文を書き始める前の段階でいろいろ私のやっていることに興味を持ったり、ディスカッションしたり、本当にそれこそいろいろできたはずなんです。

実は、彼ほど貧弱なコラボレートではないにしろ、本当の意味で論文に名前をのせるべきではない人にも、名前を載せたいんですがという申し出をすることがあります。日本では実際、何度か申し出たり、反対に申し出されたりしていました。(で、日本人は大概、どっちも断るんですが。。。)日本人はやはりなんでも親切に教えてくれるし、なんでも結構簡単にくれるし、話やディスカッションにも真剣に答えてくれます。この太陽のようなやり方は、彼のように戦略的に自分の名前の入った論文の数を最小の努力で増やしたいと思う人には打ってつけの方法だと思うんです。

私は自分が政治のできない、戦略のない人間だと思い込んでいましたが、日本人の戦略であるみんなに親切にするという方法はそんなに悪い方法ではないのではないかと思います。彼のように、知的財産がどうの、裁判を起こすぞだの、学長に訴えるぞなどのやり方は賢くありません。だって、実際彼の主張は通らなかったわけだし、ボスが彼について書く推薦状にはトラブルメーカーだみたいなことが入るでしょうし、研究室の雰囲気もかなり悪いです。だって、みんな彼が嫌いだから。

外人は日本人と違って戦略家だからだまされないようにしないといけないという風説(?)は、日本人と違って他人に親切にしてトラブルを解決する方法を知らないので、目をつけられないように気をつけないといけないに、私の頭の中では変更されました。

今日のエリック(シリーズ化??)

私の子分?のアメリカ人博士課程2年生のエリック君。
4種類の実験条件についてそれぞれ4サンプル作ってね。という命令を出すと、うーん、と考えこんでしまった様子。1サンプルには50マイクロリットルの溶液が必要なのですが、では一体、いくらの溶液が必要なのか考え込んでしまったわけです。
で、ね、溶液いくら作ったらいいの?と私に質問してきました。
溶液は別に余れば捨てればいいようなものなので、私は1ミリリットル作ってというと、そっか、4種類で4サンプルずつだから20サンプルだよね!と納得した彼。。。
彼,別に、馬鹿じゃないんですよ。かなり優秀ですよ。ただ、計算とかがちょっとね。。。

トラバありがとうございます。

普段、期待されていないのをいいことに好き勝手なことを書いていますが、トラックバックを三人の方にして頂いたおかげで、急にカウントが増えてて、びっくりしました。

自分にもし子供がいたらとか、自分がまだもし高校生だったらとかという視点ではない視点で教育のことを考える人がいてもいいのかなあという感じで。私のように子供を産まない女が増えたおかげで少子化だー、日本経済が大打撃を受けるぞー、どうしたら私のような女が子供を産むのかというような馬鹿げた議論がされていますが、本当に人口が減ってそんなに困ったことになるの?といつも思います。人間も生物なので、心配しなくても人口が減って来たなあとみんなが考える頃には産む人が増えるようになるでしょう。まだ誰も人口が減ったなあと実感できないので、産もうと思わないだけだと思います。そもそもいろんなことを機械がするようになって、工場なんかもどんどん海外に移転しているし、人に職がないのですから、少ない労働力で同じような効率で儲けて、少ない人で分けると言う風に変わるだけなのではないかと思います。そもそも日本人は自分ではお金を使わない民族ですし。例えば、団塊ジュニアをターゲットにした商品はことごとく失敗していませんか?人口が多いからねらっても、当たらない、つまり、人口が多い=消費があるというような単純なものではないのです。貧乏な人がいっぱいいるより、一人一人の人がちょっと金持ちになった方が消費も増えるのではないかと思うのです。

で、人口が減って困る一番の問題が、日本の教育システムだと思う訳です。そもそも日本のシステムはすごい競争があることを前提にしてなりたってるシステムですから、競争が少なくなると機能しないのです。大学全入時代を迎えるのに、大学の入学試験が難しいということを前提としたシステムはもう成り立たないのです。日本人がこれからも少なくなる人数でそれなりの生活をしていくためには、教育は絶対に外せない項目のはずです。人間として必要なことをスキップして、受験に必要なことだけを教える学校をエリート校だと位置づけ、見せかけの東大卒エリートを作ってもなんの意味もないと思うのです。

ところで、女が科学の(もしかしたら私の分野だけかもしれないですが)研究者として身を立てたいと思うなら、東大を出ていることは最低の最低の条件かもしれません。東大を出ていても日雇いでない職につける人はほとんどいませんが、東大をでていないとそもそもこんな無謀な挑戦をしても単なる無駄なあがきかもしれません。東大卒が優秀というのではなく、やっぱり日雇いでない職を得るためには、コネコネコネなので、女の場合、東大ぐらいでていないとコネなんて作れないのです。男の人の場合、東京理科大ぐらいまでなら逆転勝ち有りかな?という感じです。で、東大卒の女の人に囲まれて、今日も私は無駄なあがきをするわけです。