どこまでなりふりかまわずやっていけるか。

女性で本当に独立した研究者になるために必要な物は、結局どこまでなりふりかまわずやっていけるか。どれだけ、すべてのものを犠牲にできるか。この点に限られていると思います。

ポスドク生活は金銭的にかなり貧乏です。
娘を近くに置いておきたい大半の親達には、単身世界を渡り歩く娘は親不孝を通り越して、奇異な存在です。
大半の男のポスドクが奥さんの仕事をやめさせて奥さんを連れてくるのに対して,女の場合、彼が仕事をやめてついてきてくれることはかなり稀です(実は、このパターン、一例だけ知っていますが。)。
偶然、どちらもポスドクだったとしても、数年ごとに移動する日雇い生活。移動する時になって、やはり自分のキャリアか相手について行くかの選択をいつもせまられます。

その度に、全精力を使って、自分は研究者になるんだ!!と非情な選択をし続けても、本当に研究者になれるかどうか、確率は10%もないのではないかといつも不安な気持ちを抱え続けたままなのです。だって、周りの女の先輩で助教授になった人なんて見たことがないから。身近な人でロールモデルにするべき人がだあれもいないのです。

さて、最愛の相手、家族、子供を産んだかもしれない可能性、そういう可能性のすべてを捨て去ってまで、研究者になるということは尊いことでしょうか。。。
リスク管理ということを考えるのであれば、女が研究者を目指すということは到底割の合わないことだと思います。
実際、海外でラボを開いたり、日本で助教授になれた女性を見ると、すごくたくさんの幸運に恵まれています。たまたまラボの10歳位下の学生とできちゃった結婚して、相手が半専業主夫状態という人や、うちのボスの様にダンナさんがフリーのライターで彼女が移動するところすべてにダンナさんがついていけるというような場合です。

幸運は望んでくるものではないので、結局なりふりかまわず邁進するしかないのですが、時々どこまで自分を犠牲にすれば気が済むのか(研究者を目指すことを諦められるのか)とくとくと考え込んでしまいます。