少子化時代の教育

昔、某国立大学医学部で働いていた時のこと、
担当している医学部の3年生に、
「先生、大腸菌にもRNAがあるんですね。」
と、言われた。
最初、彼が何を言ってるのか、意味がわからなかったのだが、いろいろきいてみてわかったことは、医学部の授業で、ウイルスにはDNAを遺伝子にしているウイルスとRNAを遺伝子にしているウイルスの2種類があることを学んで、ウイルスと大腸菌の区別がついていない彼は大腸菌の遺伝子はDNAでできていることを知っていたので、大腸菌にはRNAがないと思ってしまったそうだ。
ウイルスと大腸菌の区別のつかないお医者さんができることも将来的に大問題だが、セントラルドグマを知らないお医者さんの存在も笑えないと思う。

よくよく話をしてみると、彼はそこの医学部生の40%を占める私立中高一貫校の出身で、高校一年生までに高校三年間を終えてしまうカリキュラムの元で学んで来たので、受験に関係ない例えば生物学なんて一切習っておらず、小学生の理科の段階で止まってしまっているということだった。小学生の理科しか知らない学生に医学部の教養課程で基本的な生物学を教えるのがどれだけ大変か。。。しかも医学部に入ってしまった後の学生に教養を勉強する気なんてゼロである。

少子化で誰でも大学に行けるようになって、だから中高一貫の学校を作って、エリート教育を!みたいなことがさかんに言われているが、せっかくみんなが大学に行けるようになったのだから、もっと入試や競争をゆるやかにして、その代わり、いろんな科目をできるだけ広くたくさん高校までに学べるというシステムを作る方がみんなの利益に叶っていると思うのだが。

私の通った高校は旧制中学の伝統を謳っていた高校で、高校3年間で広く教養を身につけることを第一に置いていた。だから、文系理系も全員、物理が必修だったし、理科は全員なんらかの形で4科目やることが義務づけられていたし、理系でも歴史が必修だった。また数学も代数幾何、基礎解析が文系でも必修だった。今のように大学受験が易しい頃ではなかったので、なんで、こんな受験に関係ないことばっかりやらされるのか、みんな不満に思っていたが、今思うと、数学も物理も高校で学べて本当によかったと思う。なぜなら日本の大学の授業は本当について行ける人だけへの授業で(大学は専門を学ぶところなので、私はそれはそれでいいと思うが、)大学数学なんて私にはちんぷんかんぷんだったからだ。アメリカのように大学のレベルを下げて、日本の中高で学ぶことを大学でやるようにするよりも、大学では自分の専門分野を磨き、高校までで世界の大学レベルの教養を身につけていることは日本人のすごいアドバンテージだと思う。

大学に入ることが簡単になって、小学生の時のちょっとの我慢とお金で私立の一貫校に入って、受験に必要なことだけやれば、凡人でも東大卒という肩書きが得られたり、医者になれたりする世の中だからこそ、もっと広い知識と教養を身につけるようにしようという流れがでてきていいと思う。高校の時はかなり損をしたと思ったが、高校で身に付けた教養は今、私にとって財産である。

アメリカナイズ

今、家来(?)の博士課程の学生さんに細胞の数を数えてもらっているんですが、数えたら何%がポジティブだったか計算してねとお願いすると、な、なんとちゃんと%がでてるじゃないですか。。。

1回計算の仕方を間違って書き直した後があるものの、その後、正しいやり方に気づいたようで、ちゃんと計算があってました。
で、もしかして、彼って秀才?って咄嗟に思ってしまったんですが(笑)これって、アメリカナイズされすぎ??

この前のローテーションで来ていた、博士課程の子は、50倍希釈の溶液を1リットル作ってねとお願いすると、1リットルが何ミリリットルかわからなくて作れなかったのです。

飛び級で医学部に進むつもりの超秀才大学2年生の子は、エタノールメタノールの違い(存在?)を知らなかったんです。来年から医学部で専門知識を習い始めるのに、そんなことで大丈夫なのか。。。

夏休みにラボに働きにくる高校生達は、生粋のアメリカ生まれアメリカ育ちのはずなのに、夏休みの宿題でペンギンブックスを読まされてるんです。ペンギンブックスですよ。高校生にもなって、なんで普通の本が読めないのか。

ね、%の計算ができるってかなり凄くないですか?
アメリカ、バカにしすぎ?(笑)でも、ここで彼らと接すると、本当に笑えないですよ。

メカニズム、メカニズム

natureやcellやといった一流誌に投稿すると必ず言われるのが、この論文は何のメカニズムも明らかにしていない。現象だけ追ってもメカニズムが解明されなければ意味がない。云々。

本当にメカニズムが文字通りメカニズムと言う意味で、現象を説明するメカニズムが解明され、それが論文になるのはすばらしいことだが、残念ながら、そんな論文はほとんどないし、もしそんな論文が書ければ、ノーベル賞だって夢ではないかもしれない。

今、アシスタントプロフェッサーの候補者がずらずらとセミナーを毎日のように行っているのですが、今日、セミナーをした候補者はなんとnatureとscienceとcellに一報ずつ第一著者の論文を持っているという凄い人。
それなのにそれなのに、セミナーのつまらないこと。
こんなにいい論文をいっぱい持ってて、なんでこんなにつまらないんだろう?とセミナー中、ずっと考えていて、わかったことは、彼は忠実にnatureやcellが言うメカニズムと言うやつを解明しているわけです。何をしているかというと、タンパク質Aが働くことがわかっているので、そのAにくっつくBをとってきました。BはCとDにくっついて。。。。と、延々と何が何にくっつくか、そして、どれとどれがcomplexを作っているかというのを調べているわけです。

途中で、しびれを切らしたプロフェッサーの一人が、で、そのタンパク質は一体、何をしているの?で、それはどんな役割なの?という質問をしても、彼はそれはずっとやってるんですが、まだ何もわかってないとかそんな答え。

これってメカニズム?
どんなタンパク質が関わっているか、役者を全部取ってくるという仕事も大事だし、地道にどんな現象が細胞内で起こっているかということを調べる仕事も大事なわけです。どちらも大事で、優劣や貴賤はないはずなんです。でも、一流誌が彼らの言うところの”メカニズム”を印籠のように使うなら、みんなそんな仕事ばっかりするようになっちゃいますよね。今の私の分野がまさにそれ。みんな金太郎飴みたいなことをして、ちょっと毛色の変わったことをする変な奴(=私)には、でもね、メカニズムがないとお話しにならないんですよ、と言い放つ。

いや、グチです。。。
彼らの言うところのメカニズムという奴のデータをこれから出してやるぞ!!と思うわけですが、ちゃんと現象を追った仕事も誰かがしないと本当の意味でのメカニズムは解明できないと思うんですが。

そういえば、オリンピック関連のコラムかなんかで、本当に強い人は言い訳をしないとかなんとかそういうことが書いてありました。メカニズム、上等じゃないの、やってやろうじゃないの、と今のところ考えています。

伝統ってなんだ?

どうやら皇室典範改正は見送られたようですね。。。
それにしてもいつも都合良く出てくる言葉、伝統って一体なんなんでしょう?
例えば、天皇は男系であることが伝統で、女帝もいたけど、それはつなぎの天皇で、お飾りだったっていう説明。
確かに、学研漫画とかで推古天皇のことなんかを読んだ記憶によると、教科書的には推古天皇には聖徳太子のような人がいて、彼女はだまってハイハイなんでも言うことを聞いていたような人物像ですよね。
誰も、推古天皇に会ったこともないのに(笑)
これまた井沢元彦の読み過ぎかもしれないけど、女帝の中には自分の息子(つまり男系でない人。)を天皇の位につけようと画策して、結局つけてしまった人もいたはずです(ただし、邪道な説なんでしょうけど。)。

伝統という言葉がでてくると、いつも思うのは、今60歳、70歳の人たちが子供の時に学校で習ったこと、常識だったことを元に、それまでの歴史を拡大解釈しすぎなのではないかということです。
天皇の話だと、その頃学校で教えられていたおとぎ話が神代の時代から続く伝統だと言って出て来ますよね。
もちろん、その中に卑弥呼なんてかけらも入ってこない。
卑弥呼は日本という国ができる前の女帝(女王)だったからという説明もできるけど、神武天皇はなんて言ったって、日本の島自体をかき回して作った、イザナギイザナミの息子ですよ。本来なら、卑弥呼よりも以前のはずですよね。

女が男のあばら骨からできたキリスト教社会より、イザナギイザナミが結婚して日本をつくったという神話を持っている日本の方が、昔ははるかに男女平等だったのではないかと思います。
確か、卑弥呼の話でも、卑弥呼の後、何人か男の王がついたが、戦争ばっかりで国が治まらないので、卑弥呼の姪を女王にしたという話は歴史の教科書に載っていたはずです。

女帝がつなぎでお飾りだったという説は一体どこまで信用できるのでしょう?単に今、男女不平等がまかり通っていて、おじいさん方の頃には女は男のいうことを黙ってきいてればいいんだと言われていた常識からでた説ということはないのでしょうか?

伝統というものが、その時代その時代の人の見方によって(今だと今のおじいちゃん方の常識によって)、いろいろ違った解釈をされてしまうのであれば、伝統って一体なんなのか、本当によくわかりません。
ただ、自分の常識の中でとどまっていたいと考えるおじいさんどもの言い訳=伝統であるなら、そんなものは不要だと思うのですが、おじいさん方はとどまっていたいから伝統をつくっちゃんでしょうね。

最近覚えた単語。

torture

今、PhD(博士課程)の学生さんが一人私についています。まだ実験を始めたばかりなので、手取り足取り、これをやれ、あれをやれと指示をだしているのですが、あるとき、私がこれ20回ぐらいやってねと指示をしている時に、その学生の友達がラボにきて、
お前、なにやってるのー?みたいな感じできいて来たので、
その学生が、これ20回やるんだって。と、答えた時に、友達が言った言葉。

That is a torture.

この単語知らなかったので、まあ、罰ゲームみたいやなあと言ってるのかと思ってたのですが、
拷問ってあんた。
私なんか、今日、これ60回もやったのに。。。


bully

論文に名前をのせろと主張してる彼がこんなことを言って来たと私がボスに言った時のボスの言葉。

He is just a bully. You don't need to worry about it.

これ、bullyを知らなかったのですが、あとで調べて、笑えました。
ごろつきですね。

とうとう泥棒扱いかい!!

今日は、とうとうボスを通り越して、私のところに直接、(私の論文に名前をいれろと要求している)彼が乗り込んできました。直接、彼が言ってることをきいて、なぜ彼がこんな主張をしているのか少し飲み込めました。確かに私の論文が先にpublishされてしまうと、彼はもう一度実験を一つやり直さないといけないことになりそうです。

彼が2年位前からやってきたプロジェクトはAとBというタンパク質がいつ発現しているか、卵細胞からずっと発生の段階を追って比べるというようなものでした。これは既に私がこっちに来た1年前にはほとんど実験が終わっていて、セミナーなどで彼が発表すると、いつも私はAのもっと詳しい発現時期が知りたいから、こういうマーカーを使ってみては?という提案をしていました。でも、彼は大ざっぱに比べるのが彼の目的であって、そんな細かいことをする必要はないと考えていたようです。

で、私はAをやりたくてこのラボに来たので、Aの細かいことを調べ始めました。そうすると、どうしてもAの細かい発現時期も自分のデータとして必要でした。彼のデータは大ざっぱすぎて使えないだけでなく、実際に細かく(普通の人がやっているような実験で)調べてみると、彼のデータと違う結果が得られてしまったのです。これは他の論文にも言えることなのですが、とにかく彼のデータは大雑把すぎて、いざちゃんと調べてみると全然結果が違っていたということが少なくないのです(実は、この論文を書く時もそれに苦労して、臓器が違うからね、というので何度か逃げているのですが、本当は彼がちゃんとした方法でデータを取らなかったのが原因なのです。)。

で、今回の問題の実験。
同じ臓器を使って、彼は1種類のマーカーで比べて、AとBの時期が違いますよという結果を導いた。
私は4種類のマーカーを組み合わせて、Aの時期はここからここまでですという結果を導いた。しかも、それは彼がAの時期だと大ざっぱに言った時期と少しずれている。

彼は大まかにAとBはこんな感じというデータを出しただけなので、もし私より先にpublishしていれば、そのまま論文のデータとして使えた。(私はまたなぜ結果が違うのかを議論しないといけなくなるので、大変ですが。)
が、私がAの細かいデータを出してしまって、しかもそれが彼の言っている大まかな時期とずれているとなると、彼はもうそれを論文にはできない。

でも、ですよ。私がここに来た時には、もう論文の形になってたものですよ。それから1年ですよ。なぜ、もっと早くpublishしないの?と思いませんか?彼は去年の夏にボスから解雇すると言い渡されたのです。で、彼のとった行動は論文のpublishを遅らせるというものでした。彼曰く、俺がこの論文を完成させるまでボスは俺を解雇できないから、という理由で。

もし、仮に私が先にpublishしたとしても、彼はもっと確実な方法でAとBの時期を比べればすむことです。なんなら、Aのは私のデータを使って、Bだけやってもいいかもしれません。(私は、名前を入れろなんて言わないし。)
なんで、これで、データを盗んだだの、泥棒だの言われなきゃならないの????

ボス曰く、あんな間違ったデータをpublishしなくてよかったわ、だそうです。
だから、本来の目的に帰って、ちゃんとAとBを比べればいいのです。私のデータを使うなら、Bを1回染色すればすむだけの簡単な実験です。。。。

書いていて、頭が整理されました。
彼に何か解決法を示せとせまられたのですが、簡単です。彼が1回Bの実験をやり直せばいいのです。違うマーカーで。こんなことで悩まないといけないなんて、本当にばかばかしくて嫌になります。

やはり、日本のようにはいかない。

実は、論文に誰の名前を入れるかで揉めています。自分のプロジェクトで自分が全部実験した論文だったので、私としては、何の疑いもなく、私の名前とボスの名前で終わり!と思っていました。ところが、そうは問屋が卸さない。私の論文、他の教授たちの反応も上々のよう、と見たとたん、ハイエナのようにおいしいところを持って行こうとする人がでてくるわけです。

一人のポスドク(男)が論文に名前を入れろ!!と声高に主張し始めるわけです。

彼の主張、その1:彼がつくったトランスジェニックを使って私が実験している。→彼はもうこれで一報、論文を書いていて、その論文には当たり前ですが、誰でもこのトランスジェニックを使っていいですよという一文がもちろん入っている。

彼の主張、その2:マーカーに使った抗体を買ってもらったのは彼で、どれくらいの希釈で使うかを教えてあげたんだから、私は彼の実験方法を使って実験したことになる。

彼の主張、その3:何%のゲルを流せばちょうどいいか私に教えた。

あきれて、ものも言えません。
希釈がどれくらいなんて、別に自分で調べればいいことだけど、ラボに先に使った人がいれば、どうだった?ぐらい話をするのが普通だと思うのですが、それがコラボレートになると言われてしまっては、もう、彼とは一切口をきかないと言う風にしないといけなくなっちゃいます。ほんとにわけわからん。

ボスはお話しにならないと言って、Noと断ったのですが,彼はまだ諦めきれない様子で、私と話がしたいだの今日も言ってきました。。。。日本では考えられないですね。。。。

自分の分をわきまえるということを知ってるのは日本人だけなんでしょーか。本当に、こういうのは嫌になります。