ジェンダーが不要な人々

女性の大学の先生で実名でブログを書いておられる方が、彼女は学会の男女共同参画委員もなさっているそうですが、ジェンダーという言葉がうさんくさくて嫌い、そんなものは必要ないというような発言をブログでしておられました。

科学界には何人かまだ日本が裕福だった時代に日雇いでない職についた女性の方々がいらして、女性は本当に珍しい存在(そういえば、国立大学初の女性学長になった先生を周りの男性が客寄せパンダと呼んでるのを何度か耳にしたことがあります。)なので、非常に目立ちます。彼女は科学者、大学教員であることが本来の仕事で、男女共同参画委員はボランティアワークだと仰ってますので、そこまで要求するのは酷なのでしょうけど、やっぱり委員がこれでは。。。と落胆せずにはいられませんでした。

大学に入ったとき、女であるということを全く意識せずに今まで生活してきたと主張する女性がたくさんいることに気づいてびっくりしました。大学教授の娘やお医者さんの娘など恵まれた人たちです。私は大学進学ですら、両親からかなり反対されました。親戚が集まった時などには、伯父さんに、女学士か、もうこれで結婚できないなあとよく言われました(女博士ですけど。。。予言当たってますね。ちなみに私はまだ30代前半です。)。大学の授業料も両親の言う通り国立大学に進学したにも関わらず、途中から払ってもらえなくなり、私はあのまだバブルの余韻が残っていた頃に、珍しい貧乏学生をしていました。これだけなら、まあ家が貧乏だったのだろうという貧乏話なのですが、弟の受験の時には両親の目の色が変わりました。弟は勉強が嫌いだったので、はなから大学進学をする気はなかったのですが、両親はどこの私立大学でもお金ならいくらでもだすから、どこかに入ってくれと弟に頼んだのでした。

世の中には恵まれた家庭にたまたま生まれた人というのがいます。そういう人は資本主義社会では概して恵まれたポジションにつける運命にあると思います。私のアメリカのボスも女性ですが、アメリカでは日本の何十倍も女性が日雇いでない職につける可能性が高いので、日本のようにほんとに恵まれた一部の人だけではなくもう少しいろんなタイプの女性ボスに会うことができます。私の今のボスは非常に苦労した人で,大学院生の時に論文を書いてボスに見せに行くと、女に論文が書けるはずがない、誰に書いてもらったのか言えとどなられたそうです。日本では本当に恵まれてラッキーなほんの一握りの女性しか研究者になることができず、しかもその人たちは自分がどれだけ恵まれていたかすら理解していません。でも、上に立つ人には、下の者を見渡す義務があると私は思うのですが。今の日本の政治を担っているおじいさん方にも共通しますが。